通信使瀬戸内海を船で往復し、蒲刈島の三ノ瀬には、大抵船を寄せて一泊しました。その接待は浅野藩の担当でしたが、その豪華なおもてなしは驚くばかりであったとされています。
下記の図は、正徳年度の蒲刈島御馳走所絵図です。この図の中で、蒲刈での通信使の宿は、上のお茶屋でしたが、下のお茶屋と本陣もあわせて使われました。上のお茶屋は来日の都度、大改善が行われ、しかも往路と復路では少し異なった趣きとなるように改修が施されました。
図中の②の部分は、上のお茶屋へ通ずる石段(階段)を示していますが、この石段は、当時のたたずまいで、今もなお人々に使われています。
当時、通信使は、長雁木(福島雁木)(図中の①)から島へ上陸し、宿館である上のお茶屋へ移動しました。通信使の来日が迫ると、橋の準備が行われました。
この雁木は、江戸時代の広島藩主、福島正則が幕府の命により、本陣を設ける際、船着の便をはかって長雁木を築いたとされています。
通信使の上陸の際には、この雁木の本陣よりに、桟橋のような橋を3か所つけてたとされています。
右の写真は、通信使上陸の際に雁木に設置された橋のイメージ(資料館のジオラマ模型)です。雁木の後ろには、御本陣があります。
朝鮮通信使の正史の宿泊施設であった「上のお茶屋」の跡です。
この三之瀬朝鮮通信使宿館跡は、昭和15年に広島県の県史跡に指定されています。
現在では、お茶屋へ通じる石段のみが、当時のままに残っています。
上のお茶屋と同様に、通信使の宿館として使われた三之瀬本陣の跡です。
この三ノ瀬御本陣跡跡は、昭和15年に広島県の県史跡に指定されています。
松濤園の中に、朝鮮通信使資料館の「御馳走一番館」があります。
朝鮮通信使資料館に行くためには、松濤園の入場になります。
朝鮮通信使資料館「御馳走一番館」の詳細はこちら
朝鮮通信使関連の施設として、朝鮮通信使庭園があります。
ここには、朝鮮通信使の出発地である漢陽(朝鮮の当時の首都)から、下蒲刈を経由して、終点の江戸までの旅程を表現した庭園です。
通信使が立ち寄った場所が標されており、朝鮮通史使の気分で散歩してみるのも良いでしょう。
入口には、記念庭園の案内と共に、朝鮮を思わせる雰囲気の石造が迎えてくれます。
さあ!出発です!
漢陽から江戸まで、現在の地名も併記されて案内されています。
当時には、この旅程が片道で半年くらいかかったそうです。(庭園だと1分で到着しちゃいます・・・)
朝鮮の雰囲気を意識した作りなのか、松をふんだんに使用した庭園です。
庭園は海に面しており、解放感のある風景です。
朝鮮通信使と言えば、海の旅抜きでは考えられないので、やはり、海が一緒に楽しめる場所は良いと思います。
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